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野崎島ワイルドパーク 小値賀町野崎郷

野生の鹿約500頭の島で、大自然を満喫でき、近くには、県文化財「野首天主堂」、野首海水浴場がある。小値賀町が廃校になった小学校を利用して、大自然を満喫しながら自炊生活を楽しむ自然学塾村を開設。野生の鹿を間近で観察したり、海水浴などを楽しめる。食堂、自炊施設テントなども整っている。野崎島行きの船は小値賀港から1日2便が運航。

小値賀港から船で30分後徒歩15分 要予約
野崎島へのアクセス

ちかまるくん 小値賀島 | Facebook 宇久じまん会 | Facebook
野首教会(世界遺産暫定リスト)
 野崎島は五島列島の北端に近い小値賀島の東方に位置し、中道島の最北端浦和崎鼻からは浦和崎瀬戸を介して1kmと離れていない。小値賀島、野崎島はかつて平戸藩に統治されていた時期があり、明治に入ってからの地域再編により現在は宇久島を加えた3島が北松浦郡となり中道島から南へ福江島までの各島が南松浦郡となった。野崎島は小値賀町の行政区域に人っており、交通も小値賀島からの渡船によっている。小値賀島が比較的平坦地が多いのに対し、野崎島は急峻な山地で平坦地が少なく、長期にわたり無人島であった。

 かつて野崎島には野首と瀬戸脇(船森)の二つのキリシタン部落があり、最初に野首に定住したキリシタンは、寛政9年(1797)から始まる大村領外海地方から五島へ移住した人達の内の2家族が最終的に野首に住み着いたものと言われている。また、瀬戸脇に定住したキリシタンは、大村の海岸で明日処刑されるという3人のキリシタンを小値賀町の船問屋が同情して小値賀に連れ帰り、人目を避けて瀬戸脇に移住させたものと言われている。

 野首教会堂は明治41年(1908)10月に完成し、同年10月25日にクザン司教により祝別された。建物は煉瓦造、単層屋根構成瓦葺きで、付設する鐘塔は持たないものの正面全面が玄関部となっており、主廊幅に相当する部分を前面に張り出させて正面外観に変化を持たせている。正立面は二層に分かれ、上層には二連の尖頭アーチ窓を設け、その間に同様のアーチ額縁を置いて中に「天主堂」の文字を入れている。二連の尖頭アーチ窓にははめ殺しのガラリが付されている。下層には突出した正面とその左右に3個の尖頭アーチによる開口出入口があり、吹き放ちの玄関部を構成すると共に、会堂部へ連ずる正面の両内開き板戸及び左右の片内開き板戸に対応している。正面に突出した柱形の頂部には特徴のある胸壁様の装飾物を置き、屋根棟頂部にも同様の装飾物を置いた上に十字架を置く。なお正面両脇の柱形の頂部にはこれも特徴のある植物様装飾物が置かれている。

 この教会堂にはもう一つ大きな歴史的変遷がある。それは戦後のことであるが、終戦後34戸あった瀬戸脇部落は昭和40年には13戸80人となり、翌年4月には全世帯が小値賀島に集団移住した。野首でも昭和25年に28戸171人いた住民が昭和45年には6戸28人にまで激減し、遂に昭和46年3月31目に全員が福岡市や北九州方面へ移住してしまった。
北松浦郡小値賀町 野首天主堂
その結果、野崎島には信徒は一人も居なくなり、この地に信仰の灯は消えたのである。切支丹開放まで数十年、潜伏して信仰を守り続け、その後1世紀にわたり信仰の灯をともし続けた信徒達も、高度経済成長下での生活を守るために、一棟の教会堂建物を残してこの地を立ち去らねばならなかったのである。その後この建物は荒廃していたが、昭和63年11月に長崎大司教区から小値賀町に寄贈され、大修復の後平成元年3月20日には長崎県指定有形文化財に指定された。
 SINCE 2001/08